代表 木村黒バック写真 コラム「組織の成長加速法」-第55回 衰退リーダーは退職者の中から社敵を増やす 成長リーダーは退職者の中からのファンを増やす

「このやり方を続ける限り、辞めていく社員みんながこの会社の社敵になっていく。もう(今までの)やり方はもう止めよう」社長交代があって、新しく社長に就任されたO社長が社長就任の際、直ちに変えた方針変更の一つが退職者への対応でした。

市場の黎明期で圧倒的な成長を経験したこの会社でしたが、あるときから社員が退職の際、ごっそり顧客を引き連れて独立していく問題に直面するようになりました。

事業所長レベルでの対応には限界があるとして、本社で対応することになります。対応策の一つとして、警視庁のOBを雇いました。その警視庁OBが来るとみんな震え上がったと言います。

怪しいと思われる人物に関しては、そこの営業所員や近隣の営業所員に聞き込みをするのです。そして、その結果、少しでも怪しい動きがあると判断したら、本人と関係者を呼び出して
ドラマさながらの徹底した事情聴取を受けさせられるのでした。

この甲斐あってか、一時的に、独立する数は若干減ったそうです。ところが、その後、その裏をかかれるようになり、手口が巧妙化していきました。そして、顧客やスタッフの引き抜く規模も大規模化していったそうです。

この状況に対応するため、今度は弁護士を数人追加で雇い、不正競争防止法違反で相手に対して裁判を仕掛け相手の戦意喪失を狙うようになりました。これまた抜け道があり、イタチごっこが続きます。


会社にとってはもっと深刻なことがありました。

それは「会社に恨みをもって辞めた退職者が会社の悪口を、言いふらすことでした。」でした。対顧客にはもちろん、業界関係者に対しても容赦ありませんでした。直接的に吹聴するだけではなく、インターネット上でも盛んに投稿されるようになります。それらは日増しに数が増えていったのです。

当初会社側の対応は、高見の見物でした。「枯れ草に火がついた程度で、雨が降ればすぐに自然に鎮火するだろう」という程度の認識だったからです。ところが状況は短期間に急速に悪化の一途を辿ります。

枯れ草の火は、鎮火するどころか、次々に燃え広がり、やがては大きな山火事になると言った様相でした。事業所レベルで、その営業地域内で火消しに回っても、焼け石に水。業界では、○○会社というのは、飛んでもない悪魔的な会社だといわれる有様。

取引していた会社からは、「御社は大丈夫なのか?」と担当者レベルの確認がくるようになりました。やがて部長への確認となり、次に役員レベルの確認とドンドン騒ぎは大きくなって
いったのです。

こうした状況に対して、現場からは悲鳴が上がるようになりました。
取引のなかった会社へ営業に出かけると、あからさまな居留守で対応される。門前払いを食らう。文字通り、塩をまかれた、という報告まで上がってくる様になりました。中には人間不信に陥り、鬱状態になった事業所長も一人や二人ではありませんでした。

そして、その後数年にわったって会社を苦しめたのは、採用希望者の激減です。マイナスの印象が広がり、採用が滞るようになったのです。売上げの伸び率が鈍化する一方で、漁夫の利を得た競合に激しく追い上げられようになります。

地域によっては、閉店を余儀なくされるケースも出てきたそうです。こうした状況に耐えられず、退職者が更に増えるという悪循環に苦しめられるようになったのです。


O社長が問題視した退職者への対応というのは、警視庁OBの取り調べや、弁護士を使った法的な圧力の強化のことではありませんでした。

顧客を引き連れて独立が顕著になった頃、対抗処置として、各事業部で行われるようになったのは、残った社員への再発防止。そのために、「辞めると大変な事になる」と思わせるための、見せしめでした。

退職者を徹底的に攻撃しました。

次から次へと出てくる独立希望者を抑制する効果を狙ってのことでしたが、全く逆効果となります。効果がでるどころか、炎上し、競合する会社に塩を送るような状況になていったのでした。

辞めていく人達は実力の高い人のほうが多かったので、問題が発覚する以前は、社内でもお手本とされるような人も少なくなかったそうです。そういう人達を見せしめの対象者として個人攻撃をされたため、残った社員の反発が大きくなりました。

「あれほど功労者だと褒め称えたのに、手のひら返しで、クソミソに言うなんて、ひどすぎる!なんてひどい会社だ」その結果、退職ドミノが引き起こります。こうして辞めていった人達は、会社に対する反感を通り超して、憎悪を抱いて辞めていったのです。

尊敬していた先輩が罵倒されることで、心に傷を負った人達。そうした人達が憎悪に駆られた時のパワーは恐ろしいものでした。何倍もの負のパワーとなって会社に帰ってくることになったのです。
激しい憎悪と共に語られる言葉は、顧客、取引会社、業界関係者を動かしていったのでした。

新社長のO社長が決断に踏み切った時は、その憎悪の炎が業界を焼き尽くそうとする
ほんの手前のことでした。


そんな中で、前任の社長次代に専務だったYさんは、少し様相が違いました。

前任者の社長から全幅の信頼を得ていたYさん。役員と言えども、徹底調査され、嫌疑をかけられ、自ら離れていった幹部の人達も多くいた中で、Yさんだけは、平然としていました。そして、辞めていった人達ととても良好な関係を保っていました。

警視庁OBからは、相当睨まれていたようですが、Yさんは、どこ吹く風というった体だったのです。

Yさんとも、何度かお話する機会がありました。そうした折に、Yさんが言っていた言葉の中で印象に残っていることがあります。

それは、「退職者の人には、「また一緒に仕事をしようね」って声をかけることにしてる」というもの。「なぜ、そうしているのか?」と尋ねますと「どこの会社でも辞める時はひどいことを言われることも少なくない。誰からも暖かい言葉をかけてもらえない」とのことでした。

Yさん自身、転職を重ねる中で、経験したことだからと前置きしつつ、Y専務の話は続きました。その人が厳しい局面に直面して、その局面が厳しければ厳しいほど、「優しい言葉を相手にかけると、相手はその言葉をずっと覚えている」というのです。

Y専務曰く、実際に、何度も過去に、「あの時の言葉 はとても嬉しかった」と連絡をもらったことがある」とのことでした。この話を聞いた時、私はとっても驚いたのです。なぜならYさんはとても論理的で、情が薄い人だと社内から評される人でした。

Y専務の口から出てきた言葉とは思えなかったのです。


その後、Yさんは、手腕を買われて別の業界に遷り、ある会社の代表として大成功をされます。風の噂に聞いたのですが、その会社で辞めていった何人かの方と仕事をしているとのことでした。いい人が来ないと嘆く会社が多い一方で、Y専務のように、磁石のごとく人を引きつける人も実在します。


さて、御社は如何でしょうか?
御社を辞めていかれる人は、御社の敵になっていますか?
それても、御社のファンになっていますでしょうか?